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東京地方裁判所 昭和24年(ワ)3498号 判決

原告 佐藤絢子

被告 大和田三治

一、主  文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事  実

一、請求の趣旨

「被告は原告に対し、東京都台東区永住町百七番地所在の木造トタン葺二階建住家一棟建坪二十五坪二階十坪、附属遊園及び地下室の明渡をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言。

二、右に対する答弁。

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

三、請求の原因。

(イ)、原告は昭和二十二年三月頃住宅及び病院にあてるため、本件家屋及び同番地所在の木造トタン葺二階建住宅兼事務所建坪十七坪七合五勺二階十七坪五合(以下別棟と略称する。)を訴外樫原忠澄から買受け、昭和二十三年七月末その登記手続をすませたが、被告は原告買受の当時から本件及び別棟の二棟の賃借人であつた。

(ロ)、原告は病院と住宅とを空襲のため喪い訴外山室仁太郎方の一室を賃借していたが、僅かに一室であり且つ短期間の約束であつたので、前記二棟の家屋を病院と住宅とに充てる目的で買受けたのであるが、当時被告は本件家屋に居住し別棟は訴外石田清に転貸し、同人をして事務室用に使用せしめていた。原告は前記のように緊急やむを得ない事情あることを訴え、被告及び石田に交渉して別棟の階下の明渡返還を受け、昭和二十二年五月八日から右階下において医療を開業した。

(ハ)、右開業後次第に手狭になつたので、昭和二十三年十月中更に被告及び石田と交渉した結果、原告から石田に対し移転料として金十一万円を支払うこととし同年十二月末日までに別棟全部の明渡を受ける契約をしたが、別に被告に対しても、前記所有権移転登記手続後直ちに口頭をもつて、本件家屋も原告みずから使用する必要があることを告げて解約の申入をなし、更に昭和二十四年六月二十三日附の内容証明郵便をもつて同様の解約申入をなし、右は同月二十五日被告に到達した。

(ニ)、被告は合計三十五坪及び地下室附の本件家屋を親子三人で使用しているに反し、原告は看護婦三人、医師二人、レントゲン技師一人をもつて開業中であり、レントゲン室、病室、薬局、住宅等の設備を必要とすること極めて痛切なものがあつて、右解約申入は有効なものであるから、その申入後六ケ月を経過したとき原被告間の賃貸借契約は終了した。よつてこれを理由として本件家屋の明渡を求める。

四、被告の答弁。

(イ)の事実は、原告の買受の目的が住宅及び病院にあてるためであつたことを除いて、他は認める。

(ロ)の事実中、原告が病院と住宅とを空襲のため喪い訴外山室仁太郎方を借家していたこと、昭和二十二年五月頃被告が別棟を大部分訴外石田清に転貸していたこと、その頃原被告及び石田間の約束で別棟階下を原告に明渡返還し原告が同所において開業したことは認める。

(ハ)の事実は否認する。

(ニ)の事実中、原告方の事情に属する事実は不知。

五、被告の主張事実。

(ホ)、被告は昭和二十二年五月上旬原告との間に本件家屋につきあらためて賃貸借契約を締結し、賃料を一ケ月金六十円と定め、期間については、被告において何時までも居住して差支なく、もし立退きの場合は原告が買求めた家又は貸家のいずれか被告の肯認する住宅を選定提供し且つ経済上の迷惑をかけないことを約したのであるから、原告から右約定に従つた住宅の提供及び移転に因る損害の填補があるまでの不確定な期間を定めたものであつて、解約申入によつて終了しないものである。

(ヘ)、原告は和解により別棟二階全部の明渡を受け延三十五坪余を全部使用しているから、原告の家族、雇人にとつては、現在の都内住宅事情からみて決して住居として狭いことはない。

(ト)、原告は本件家屋に賃借人が居住することを知つて買受けたものであつて、斯る場合には買受人たる原告に解約申入の正当事由ありということはできない。

(チ)、被告は昭和十四年中本件家屋と別棟を賃借し公証事務を開始するにあたり、前任者兼家屋所有者に対し金四万円を対価として支払つているから、本件借家権は通常のものに比し遥かに強力なものであつて、この事実は正当事由を否定する有力な資料となさるべきものである。

六、原告の再答弁。

(ホ)の事実に対し、昭和二十二年五月上旬原被告間に被告主張のような内容の合意があつたことは認めるが、右は原告に三の(ロ)記載のような緊急やむを得ない事情があり、別棟階下の使用を絶対必要とする窮境にあつたため、その使用と交換に合意を要求せられ、やむを得ずしてなしたものであるから無効である。仮に有効であるとしても、原告は解約申入以前に被告のためにその勤務先に好都合な荻窪方面に適当の家屋を買受ける約束をし被告に移転方を求めたが応ぜられなかつたものであるから、解約申入を有効になし得るに至つたものである。

七、被告の再々答弁。

原告主張の右事実は全部否認する。

原告は医師として菊屋橋病院を経営していた人で、昭和二十二年春頃の都会議員選挙にも立候補しその後にも色々な公職に就いており、前記合意の際も十分の精神的余裕の下にみずから被告方を訪れ進んで被告主張のような条件を申出たのであつて、被告は何ら原告の窮境に乗じ不当な契約を押し付けたものではない。

原告の主張する荻窪方面の家屋については、その所在、所有者、間取、家賃、権利金等に関し何ら明かにされていないから、約旨に従つた家屋提供があつたとはいえない。

<立証省略>

三、理  由

一、原告が昭和二十二年三月頃本件家屋を別棟と共に訴外樫原忠澄から買受け、昭和二十三年七月末その登記手続をすませたこと、及び被告が右買受当時から本件及び別棟の二棟の賃借人であつて、みずからは本件家屋に居住し別棟は大部分訴外石田清に転貸していたことは当事者間に争がない。

二、原告がもと病院と住宅とを所有していたところ空襲のため焼失し、訴外山室仁太郎方を賃借していたことは当事者間に争のないところであつて、証人野地要の証言及び原告本人訊問の結果によれば、原告は右山室方の事務所を借用していたのであるが、借用の初めから他に適当な場所を見付けるまで一時好意的に使用させて貰つていたので、当初から諸所を物色していたところ前記二棟の家屋を入手し得ることを知り、別棟を病院に、本件家屋を住居にあてる目的をもつて買受けたものであることが認められる。

三、原告が右買受後間もなく、被告及び訴外石田清と交渉して別棟階下の明渡を受け、昭和二十二年五月八日から同所において医療を開業したことは当事者間に争なく、昭和二十四年六月二十三日書面をもつて被告に対し本件家屋につき、みずから使用する必要あることを理由として解約申入をし同月二十五日頃被告に到達したことは、成立に争のない甲第四号証の一、二によつて認められる。

四、被告はまず、本件家屋の賃貸借契約は不確定期限附であるから、原告の解約申入は無効であると主張するので、この点を検討する。成立に争のない乙第一号証の一には、被告主張のように、被告は本件家屋に永く居住して差支なく若し立退きの場合は原告が他に買受け又は賃借もしくは賃借を斡旋した家屋で被告の肯認する住宅を提供し且つ経済上の迷惑をかけない旨の記載がある。然しながら、同号証及び成立に争のない乙第一号証の二、乙第二号証並びに証人野地要の証言、原被告本人訊問の結果を前段認定の事実と併せて考えると、原告は前記のように住居及び職業上の緊急な事情から本件家屋及び別棟を買受けた関係上、その直後被告に対しその明渡方の交渉を初めたのであるが、一方被告は昭和十四年五月以来これを住居及び公証人役場として永年使用していた実情にあつたので、右交渉にあたり、原告のさし迫つた必要を満たすために当時被告がすでに公証事務に使用せず石田に転貸してあつた別棟階下を被告及び訴外石田清の権利を留保しつつとりあえず原告に使用せしめ、後日原告と石田との折衝によつて別棟全部についての移転料を定め、石田がこれを受取つて明渡したときは、三者間の賃貸借及び転貸借関係を消滅せしめることとし、本件家屋については、原被告間においてあらためて昭和二十二年五月一日から賃料一ケ月金六十円毎月末日払の賃貸借契約を結び、賃貸借の期間は定めないこととしたが、同時に前段摘記のような合意をし契約書にその旨の表示をしたものであると認められる。

以上認定の事実からみると、当時原告にも緊急止むを得ざる事情があつたとはいえ、被告が永年賃借使用していたものを、何等の諒解もなく買受けたのであるから、被告において原告の希望をたやすく容認するに困難であつたであろうことは推測に難くない。さればこそ、被告はすでにみずから使用しなくなつていた別棟階下の使用を許すことで原告のさし迫つた必要に応ずると共に、前記のように遠からず原告に対して別棟全部の明渡をなすこととし、本件家屋については爾後の推移に応じて考慮することとしたものと考えられる。すなわち乙第一号証の一、二、同第二号証の契約は、二者合せて当面の事態を早急に解決するためのものであり、被告及び石田は別棟の返還を当時すでに承諾し、ただ移転料の額及び明渡の時期を決定するいとまがなかつたためにその確定を後日に譲つたものであつて、これによつて原被告間の賃貸借関係は一まず決定せられたものと解するのが相当である。換言すれば、被告は別棟についてみずからは何等の代償を取得することなくこれを原告に返還することにより原告の当面する必要性を満足せしめる反面、その居住する本件家屋については爾後相当期間原告から解約申入を受けない保障を得てその住居の安定を確実にし併せて後日明渡の止むなきに至つた場合にも原告からの家屋提供を承諾せしめ将来の不安に備えたものに外ならない。このことは本件家屋に関する合意が賃貸借を前提としてなされ別棟に関する合意が明渡を前提としてなされていることに徴しても明瞭である。従つて乙第一号証の一の契約中、被告主張の条項は、後日原告が本件家屋使用の必要を理由として被告に対し明渡を求める場合の条件を定めたものと解すべきであつて、原告の提供すべき家屋の如何は移転料と同様、その当時における原被告双方の家屋使用の必要性の大小にかかるものであり、提供家屋が本件家屋明渡の代償として客観的に相当である限り、被告はみだりにこれを拒絶し得ないものといわねばならない。

原告の明渡請求はその当時の状況に応じ客観的に相当と認められる代償の提供を伴わねばならないが、その代償が相当である限り被告の請否に拘らず、原告の請求は本件賃貸借を終了せしめる効力を有するということに帰するから、被告主張の条項は原告の明渡請求すなわち解約申入の権利を制限こそすれ排除するものではなく、右条項は本件賃貸借契約に不確定期限を附したものではないというべきである。

五、原告は、右合意は原告の窮迫に乗じてなされた不当のものであるから無効であると主張する。そして原告が当時緊急の必要に迫られて前記二棟の家屋を買受けその使用を欲していたことは前に認定したところであるが、原被告間に前記二個の合意が成立するに至るまでの経過及びその内容に鑑み、当時原告がより有利な契約をなし得るだけの正当事由を備えていたかどうかすこぶる疑問であり、又被告主張の条項によつて原告の解約申入の権限が制限されたからといつてあえて不当違法のものとはいい得ないことは前段に認定したところからして多言を要しない。故に原告のこの主張は採用できない。

六、なお被告は

(イ)  原告は被告が居住中なることを知つて買受けたものであるから解約申入の正当事由がないと主張するが、この事実は正当事由の有無の判断につき斟酌せらるべき事項ではあつても、絶対的に解約申入を不適法ならしめるものではないし、まして原被告間には前記のように約定の条件を満す代償の提供があれば原告の解約申入を有効ならしめる合意が成立しているのであるからこの主張は理由がなく、

(ロ)  被告は本件外一棟の賃借にあたり金四万円を支払つているから正当事由を否定する有力な資料であると主張するが、右支払の事実を認めるに足る何等の証拠がないし、仮りにその事実があつたとしても、それが家屋使用の対価として支払われたものかどうかも明確でないから、この主張も採用できない。

七、以上に判断したとおり、原告の解約申入にはその当時における双方の必要性の大小に応じた相当の代償の提供を要するものであるから、原告がかかる代償を提供したかどうかを調べてみると、証人野地要の証言及び原告本人訊問の結果によれば、原告は昭和二十三年中荻窪方面にある四間の住宅を買受ける約束をし、被告に対しその見分方を求めたが拒絶せられたことが認められ、この点に関する被告本人訊問の結果は措信し難い。然しながら、右は原被告間に一応の契約が成立してから一年前後のことであり、契約の趣旨が別棟を原告に返還する代りに被告をして本件家屋に相当期間安住せしめるにあつた点から見て、いささか時期尚早の感を免れず、被告がこれを拒絶したことは従つて深く咎むべきことではないし、一面において原告は別棟階下を使用して開業間もなくであり階上の明渡につき石田との間に移転料を金十一万円とし、明渡期限を定めたのも同年十月三十日のことであつて、(この事実は証人野地要の証言及びこれにより成立を認められる甲第三号証の一、二によつて認める。)別棟全部の使用により原告の必要事情を一応満たすに足るかどうかも判明せず、又原告側において被告との契約後に至り別棟の外本件家屋をも併せて使用する必要を感ずるような顕著な事由が発生したとも見えない。なるほど当時被告の家族は夫婦と女中の三人であつたことは被告の明かに争わないところであるし、原告が医療の規模を拡張する希望を抱いていたことも前記各証拠によつて認められるところではあるが、それらは原被告間の契約当時から存在した事情であつて、それを前提として契約がなされたのであるから、その後に顕著な変化がない以上原告の解約申入は契約の趣旨に副うてなす必要がある。この観点からするならば、原告の前記申入は未だ契約の本旨に従つたものとはいえず、被告がこれを拒絶したことによつて原告は爾後代償提供の義務を免れたものとはいえない。

八、而して証人野地要の証言によれば、昭和二十五年三月当時の原告側の実情として、原告外一名の医師、レントゲン技師として野地要、外に看護婦三名をもつて医療を行い、女中二名を使用しており、手狭を感ずるために、別棟の階上の明渡を得て医療のために使用し、本件家屋を明渡さしめて原告の子供を引取り、且つ看護婦の住居とし又薬局を置く予定であつたことが認められ、原告本人訊問の結果によれば、最近において同居を要する家族は十三名でその監督上も医療の上からも本件家屋を必要とするというのであるが、右十三名中には野地夫婦、甥姪四名とその妻一人を含み、原告と同居を絶対必要とする者でもなく、又その住居が本件家屋でなければならぬという程の者でもないし、業務上の必要というものはその拡張計画に外ならぬことも亦明らかであるし、更に原告は本件において和解により石田清から別棟階上の明渡を受け別棟全部を使用し得るに至つたのであるから、未だ約定の代償提供なくして被告に対し本件家屋の明渡を求め得るだけの正当事由を具有するに至つたとはいえないものと断定して差支ない。ところで野地要及び原告本人の供述によれば、原告は前記荻窪所在の家屋は被告の拒絶にあつたため入手を断念し、その後被告の移転すべき家屋を物色提供していないことが認められるから、原告の本件解約申入はその効力なきに帰するものというべきである。(この結論は被告が計三十五坪の家屋に家族三名で居住し原告の居住状況に比し遥かに余裕ある事実によつては左右せられるものではなく、却つて原告が提供すべき代償の相当なりや否やに関係を持つこととなるのである。)

九、よつて原告の本訴請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 和田嘉子 倉田卓次)

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